日本に恋した、それは忘れもしない13歳の時だった。その夜、夫婦の時間という ことで、リビングルームから退散させられた私は、妹のベッドルームに入り込み 黒澤明監督の『七人の侍』をPBS(全米ネットの公共放送)で見た。数分も経たないうちにすっかり魅了された私は、5年間使っていたプラットフォームベッドを止め、布団で寝るようになった。そして、辻静雄著の名著、"辻静雄の日本料理 ―Japanese cooking"に出会い、日本料理の世界を知ったのである。食材・器具 ・技術・歴史と共に220以上のレシピが収録されているこの本に、美的でイデオロギーの純粋な現実社会を垣間見た気がする。そして、そこには黒澤映画の真髄 に相通ずる部分があると思った。黒澤監督によって日本へ恋した私は、この辻氏が書いた一冊の本で日本に対する思いをより深め、そして、決定的なものにした。
それまで私が日本に対して持っていたイメージといえば、恐らく、一般的な西洋 人の例に漏れず、茶室や寺、お城、竹林、障子、石と砂で作られる日本庭園など、 理想的な封建社会というものであった。しかし、東京の地に足を踏み入れ、ネオンに輝き、人々が慌しく往来する姿を目の当たりにした時、これまでのイメージ が非現実的なものであることに気づき、失望する以上に昂揚を覚えたのである。 パークハイアットホテルの52階から見下ろす光景、眼前に広がる巨大な都市は、黒澤映画の『七人の侍』で描かれている姿ではなく、リドリー・スコット監督の 『ブレード・ランナー』の情報密集地帯、電気都市さながらであった。 日本ーーいや、ほとんど全ての国が、過去と未来の狭間を行き来している。将来的に東京が京都に取って代わったとしても、京都は歴史的に燦然たる過去を持ち、その栄光は色あせることはない。また、京料理は貴族的だがあくまで地味な、宮中、寺院の遺産であり、独特の場所にて饗される極上の食事は、私の人生においても不思議な魅力を持つ世界となったのである。これこそが、私の初恋相手、伝統的な日本であることは疑う余地もない。
寺院にて
天龍寺(京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町)は、禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とされてきた。とりわけ「曹源池庭園」が天龍寺の中では有名であり、雨の日ともなると、山に霞がかかり、植林された山脈から寺 院の深緑色をした湖水に流れ込む。食事に訪れた者は、引き戸によって仕切られた古いが品のある木造の部屋で、眼前に広がる寺院や谷に見入りながら正座して食事を頂くのである。
本朱のプレート上には、美しく季節感溢れる6つか7つの料理が盛られており、厳格な菜食料理だが、所謂伝統的な精進料理であり、大変素晴らしいものである。 ゴマ豆腐、蒸し芋、甘い白味噌の茄子田楽、そして、京都の名物といえば湯豆腐 がある。また、柔らかい麩、湯葉(豆乳を煮立てたときに出来る膜状のもので、 時に"豆腐の膜"と言われる)などにライムを添えて頂く。松茸や豆料理も楽しめ る。昼食は毎日11時〜2時まで、$31.85〜$68.25(1$=¥110)。
山の麓の川の傍で
春に京都を訪れた時、友人である徳力滋氏は京都市を取り囲む木々の深緑を是非見るべきだと言い、天龍寺から程近く、大井川の傍らにある嵐山吉兆で食事をする機会を得たのである。
道路から駐車場に入ったとき、我々の車の前を人々の行列が通り過ぎた。シャン パンが入った銀色のクーラーを持つ二人のウエイターに続き、その後ろから来たのはなんとマハラジャとそのお付の方だった。一言で言うならば、これが吉兆なのである。高級さ、上品さ、エキゾチックさは現実のものとは思えず、まるで何か夢を見ている気分にさせてくれる。そんな吉兆のシェフ徳岡邦夫氏は、国を代表する料理人の一人であり、そして、マハラジャだけではなく、ヨーロッパやア メリカのシェフ、政治家などが、彼の料理に強く惹きつけられているのである。
徳岡氏の成功は、伝統と革新を上手く敏捷に融合していること、そして、高級感溢れる設えと完璧なサービスを実現することに重きを置いているところだと言える。例えば、食事中に吉兆を訪れる他のお客様と遭遇することなく、駐車場や料亭の設計がなされている。お客様は、庭が一望できる畳の部屋に通され、腰の低い机で食事をる。私は、一人の庭師が、正に今咲き始めたばかりの菖蒲を手折り、 季節を祝うかの如く飾る様子を見ることができた。茶会の後、5月は菖蒲の時期ということで、食前酒に菖蒲酒(菖蒲の赤い根がお酒の中に刻まれて入っている) が振舞われた。この時期に限った楽しみである。その後は、精巧で伝統的な懐石料理を存分に楽しんだ。
黒く光る漆塗りのテーブルに饗されるどの料理もとても美しのだが、その器一つ一つ、例えば徳岡氏が使った400年前の陶磁器などは、実に見事としか言いようがない。料理は懐石料理の順序通り進んだが、多くの料理がとても現代的で、時に国際的、そして感動的である。例えば、トロの刺身(脂ののったツナ)とトーストしたガーリックチップ添えは、まるで極上の牛肉のようであった。そして、雲丹豆腐(豆乳をゼラチンで固めた中に雲丹を入れ、山葵を添える)、牛舌マッシュ(牛舌を炊き、マッシュポテトを合わせる)、揚げホタテのアスパラガス・ソース添え、ゴリのあめ煮(ゴリを素揚げし、甘辛いタレに絡める)、そして、大根で作っ た雪洞が黒い漆のトレーに載せられてくる八寸は、まるで藤の枝の下に描かれた絵画を思わせるものであった。徳岡氏の手に掛かれば、全ての料理が美しく、思いやりに溢れ、そして、豪華である。吉兆は毎水曜が定休日、食事は$335〜$545、要予約。
茶懐石レストラン
吉兆が現代的なのに対し、瓢亭はとても古風である。池や小さな小川の近くに並んだ小さな茶室が幾つもあり、南禅寺に参拝に来る多くの巡礼者の空腹を満たす場所として300年以上の歴史を持つ。本館は、全て独立した茶室、離れ座敷で構成されており、藁葺き屋根で覆われ、木製の梁、畳、障子など昔の面影をそのまま今に残している。
辻芳樹氏が。私と一緒に旅をしていたアメリカ人シェフを瓢亭に招待してくれた。 芳樹氏は何を隠そう、前述の"Japanese Coolking"のご子息である。現在芳樹氏は日本は東京、大阪、そしてとヨーロッパはフランスにいくつかのグループ校を持つ、世界最大の調理師学校、辻調理師専門学校の2代目校長。この日はエコール 辻大阪の日本料理専任教授である近藤一樹氏も、我々のディナーに加わった。 この二人の頭の中にあるもの、それは、正真正銘の日本料理、つまり、古典的な懐石料理を如何に維持し、継承していくかということだった。彼らは、今の若い日本人が、よりカジュアルなイタリア料理やフランス料理を好み、伝統的スタイ ルを持つ日本料理には最早興味を持っておらず、知りたいという思いがなくなっ ていることに、この日本の行く先を案じているようだった。
瓢亭での食事は、実に時代を超越したものであった。料理は、1世紀、いや、2世 紀経った今でもその当時と全く変わっていない。食事は、最初に驚くほど新鮮な 鯛の刺身を頂き、次に蓬豆腐(蓬豆腐に雲丹を載せ、山葵を添える)を頂いた。2品目の蓬豆腐は、意外と知られていない食材、じゅん菜が使われていた。じゅん菜は、春に沼底から茎を伸ばし、ゼラチン質に包まれた若葉をつけるスイレン科の水草で、新芽を包む透明なヌメリが特徴。噛んだ時の触感が心地よい。それ以外にも、バターのような黄金色をした温泉卵、鱸の塩焼き、キュウリに梅肉を添えた酢の物などが出され、メイン料理の前に頂いた八寸は、オヒョウの寿司、川 海老素揚げ、角に見立てるべくバナナの皮で巻いたチキン料理などであった。そ してメインは、鱸を塩だけで素焼きにし、紫蘇を添えたもの。調理や準備に高度な技術を要するという以上に、素材の素晴らしさを実に上手く組合わせていることを強く感じた。営業は季節や日によって異なるため、前もって予約することをお勧めする。懐石料理(ディナー)は、$198〜$220。
私は二人のシェフにサインを求めた。辻氏は、説得力のある献辞を英語で、そして、近藤氏は、日本の諺、"一期一会"と記した。
この"一期一会"という言葉は、「茶会に臨む際は、その機会を一生に一度のものと心得て、主客ともに互いに誠意を尽くしなさい」という、茶会の心得から来たもので、茶の湯の心を非常によく言い表している。転じて、『一生に一度しかない出会い』、『一生に一度限りである事』を説く言葉として広く使われる。この言葉こそ、経験は儚いものであっても、伝統的に受継がれている歓待の心は永続的なものであるという極めて日本的な観念であると言えよう。
食事を終えた後、川のせせらぎ、遠くにはカエルや鳥のさえずりを耳にしながら、 月光が水面に反射しその色を黒や銀色に変える様子を眺め、完璧なサービスに幸せを感じながら暫しその茶室で余韻に浸っていた。
【Reference】
"辻静雄の日本料理―Japanese cooking"
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4770007582/qid=1122442238/
sr=1-28/ref=sr_1_2_28/249-0224646-8674758
嵐山吉兆 http://www.kitcho.com/kyoto/
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