第四回
笹岡 隆甫
(ささおか りゅうほ)
未生流笹岡・次期家元

 

食との出会いは、人との出会い

 夕刻、大きな門構えの邸宅が建ち並ぶ住宅街の一角。赤や黄色、オレンジ色の熱帯の花たちを見ながら階段をあがり、通された三階部分の広いテラスには、白や青を基調とした色とりどりの民族衣装のコレクション。

 今夏、中米グァテマラを訪問、日本のいけばなを紹介した。滞在最後の夜に、当初の予定外ではあったが、現地のお宅にお招きいただいた。お邪魔したのはゴンザレス元在日大使ご夫妻のお宅。ご家族で、当方の団員15名をご接待いただいた。

 我々は彼らのホスピタリティーに驚かされる。まず出迎えてくれたたくさんの花たちは、いけばなの心得のある奥様のいけられたもの。当地の民族衣装も彼女のコレクションで、これまでに収集したものは数十点あるそうだ。そして、この夜最も印象深かったのは、高校生のお嬢さん。他のご家族がまだ仕事から帰らず、奥様が料理をされている間、たった一人で我々の相手をしてくれた。言葉の通じない我々を何とか、盛り上げようと一生懸命話しかけてくれる。愛らしい笑みを浮かべて。「なぜみんな立ってるの。おかしいわ。早く腰掛けてお飲物でもいかが」「私は将来、女優になりたいの」、彼女の口から出る一言一言に皆が注目する。もし自分が彼女の立場であったなら…。もちろん元大使のご息女という環境もあるだろうが、当然のように人をもてなす気持ちを持っているのだなと素直に感動した。

 そして、その夜ご馳走になった郷土料理はとても美味しかった。とうもろこしの粉を焼いたトルティージャに、アボガドや黒豆を練ってペースト状にしたものを塗って食べる。口に入れたとたん思わず「美味しい」。実は、今までアボガドを食べて一度も好きだと思ったことはなかったのだが、グァテマラから帰国して以来、すっかり好物になっていた。ご主人が言うには「彼女は料理が上手いだけでなく、手早いんだよ」。幸せで優しい家族が料理の味をより引き立ててくれた。

 食事をするときに最も大切にしなくてはいけないことを、グァテマラで再確認した。それは隣にいる友。もちろん、食事を楽しむためには、料理の味が重大な要素であることは間違いない。しかし、ともに食事をする人たちの笑顔が、実は一番のご馳走ではないだろうか。皆の笑顔に囲まれて、そして自分自身も笑顔で食事を楽しみたい。

季節を楽しむ

 「苺の旬って夏だったっけ?さくらんぼや桃、枇杷、葡萄、メロンも?」
 「梨や柿は、秋の実り。でも、柘榴やブルーベリー、キウイ、林檎は?」

 意外と気に留めていないので、友人に尋ねられてすぐに答えられなかった。四季を喜ぶ気持ちは、日本人が最も大事にしてきたものの一つ。

 私が携わるいけばなでも、四季を身近に感じてもらうのは大きな目的の一つである。「なぜ花をいけるのか?」とよく聞かれる。いけばなは自然崇拝から生まれた言われ、やがて神の依代としてのいけばな、仏前の供花へと展開していく。また、植物のライフサイクルと自分自身の生活を重ね合わせて、生き方や暮らし方を見つめ直すという意味も持つ。情報社会に生きる現代人にとっては、花をいけるという行為は、心を落ち着かせる「ゆとり」とも言えよう。しかし、私は、生けた花に四季を感じる気持ち、楽しむ気持ちを人と共有できる、それだけで嬉しいことだと思う。店頭や我が家に花をいけるのは、人と喜びを共有したいから。

 食とて同じ。人は何を食に求めるのか。もちろん、食は生理的な欲求で、人は食なしには生きていけない。しかし、ただ腹を満たせばよいわけではない。食に四季を感じ、皆で楽しみたいのだ。和菓子を例にとろう。精魂込めて作る和菓子は、一つの芸術作品でもある。味を楽しむだけではない。土筆の干菓子に春を想い、寒天に涼を感じて…。一つ一つの菓子に銘がついており、銘を介して作り手の季節に対する思いが伝わる。

 人間は五感で食を、そして季節を楽しむ。七月に、嵐山の料亭にお邪魔した。店に入る前の打ち水の湿度や匂いを、すでに舌は感じている。さりげなく祇園祭の粽や団扇が飾ってあった。京都ならではの、そういった心遣いも嬉しく、庭の景色や座敷の調度品に季節を感じながらの楽しい会話が舌を和ませる。皿の色合いと料理との心地よい調和は目を楽しませ、季節感あふれる盛りつけの美しさが舌に伝わる。もちろん、お店の皆さんや隣にいる友の笑顔は一番のスパイスである。

 料理をいただくときには、五感をとぎすまし、作り手の気持ちまでも受け止めたい。四季を楽しむかどうか、それを決めるのは我々自身なのだから。

感謝の気持ち

 器に盛られた彩り豊かな料理。運ばれてきた料理をもっと深く味わうためには、その背景にいる人たちのことを考えてみる。そうすることによって、より多くのことを感じとれるはず。最も身近な料理人の方はもちろん、食材を作って下さる生産者の方、食材を盛りつけるお皿を作った方、お店を建てた方…。あげればきりがないが、実際それだけたくさんの人に支えられて一皿の料理がそこにある。そう考えるとその料理に感謝する気持ちも自然に生まれてくる。

 頼まれて舞台で花をいけることがある。もちろん舞台前面に出るのは自分一人かもしれない。しかし、介添えをして下さる出演者の方はもちろん、舞台袖で花を準備して下さるスタッフ、タイムキーパー、照明さん、大道具さん、花を仕入れて下さった花屋さん、切り出し屋さん、搬入をお手伝い頂いた方、ガードマンの方、そして見ていただいた観客の方も含め、皆さんのお手伝いがあるからこそ花をいけることができる。食べることも花をいけることもすべて感謝の気持ち。側にいる人、周りにいる人への感謝の気持ち。食べる時に「いただきます」と手をあわせて、「ありがとう」の気持ちを表したい。