第八回
福岡 伸一
(ふくおか しんいち)
京都大学・助教授 (分子生物学)

 

蓮根餅のこと、もしくは脳細胞の求めるものについて

ある大学の入試問題に、「高い場所でお米がうまく炊けない理由を述べよ」という問題がでたそうだ。あなたならなんと答えますか? 高度が上がると気圧が下がる。気圧が下がるとそれだけ水は水蒸気になりやすいので沸騰温度が下がる。温度が下がればお米はうまく炊きあがらない。これで正解? いいえ、これではまだ半分しか答えたことにならない。なぜ低い温度ではお米がうまく炊きあがらないのか。つまり、お米が「炊ける」というのはどういうことを意味しているのか考える必要がある。

コメの主成分はデンプンである。デンプンとはブドウ糖が連結して高分子化したもの。そもそもイネは自らが光合成によって捕捉した太陽エネルギーをデンプンの形で貯蔵している。貯蔵はもちろん限られた場所にできるだけ充填する方が効率的だ。だから植物はデンプンの分子をできるだけきれいに整列し、束にして貯蔵している。この状態をベータデンプンと呼ぶ。このように固くパッケージされたベータデンプンは水に溶けにくく、水の侵入も許さない。だから食べても味気なく消化もされにくい。しかし、一方、ベータデンプンはその分、腐りにくく保存しやすい。ほとんどの穀物、小麦粉にしろトウモロコシにしろ生のままではベータデンプンの状態にある。

そこで人類の祖先たちは考えた。なんとかこのベータデンプンを美味しくしたい。それは意外に簡単だった。水を加えて熱をかければよい。ベータデンプンはだいたい60度くらいに熱せられると分子と分子をつないでいる結合がゆるみ、そこに水が入り込むようになる。さらに熱をかけるとベータデンプンの固い集合体はどんどんゆるんで、その回りを水が取り囲み、デンプン分子の不規則なゆるい集まりとなる。これをアルファデンプン、あるいはデンプンのアルファ化、または糊化(のり状にすること)と呼ぶ。デンプンを完全にアルファ化するためには水中で95度以上に熱する必要がある。だから、沸点が低い山の上ではお米はうまく炊けないのである。

パスタをゆでたり、トウモロコシを焼いたり。すべての調理法は基本的に貯蔵型のベータデンプンをアルファ化する操作といってよい。アルファ化されたデンプンは柔らかく、水になじみ、消化しやすくなる。デンプンは消化されると徐々にブドウ糖になる。ブドウ糖は甘い。料理された穀物のうまみもここから発現される。

穀物によってデンプンの性質はすこしずつ異なる。同じお米でもペクチンとよばれる直鎖状のデンプンと枝分かれしたアミノペクチンの存在比によってうるち米ともち米のテクスチャー(歯ごたえ)が変わってくる。アルファ化されたデンプンは温度が下がり時間が経過するにしたがって徐々に元のベータ型に戻っていってしまう。だから、デンプンをどの程度、どういうタイミングでアルファ化して、サーブするか、というところこそが、料理の本当の腕の見せ所になる。よく、「当店は客の注文を聞いてからゆでますので少々お時間がかかります」、というパスタ屋さんあるでしょ。あれはおいしいものをタイミングよくサーブするという点でそれなりに意味があるのだ。嵐山吉兆さんの若主人、徳岡氏もお客人の進行具合を見ながら、ご飯の供し方を考えている、と語っていた。懐石料理は最後のご飯ものにたどり着くまでに、それは楽しい料理のイティネラリー(旅の行程)があるわけだから、その陰で、デンプンがタイミングよくアルファ化されているプロセスを全く客人には悟らせない。やはり客を待たせてパスタをゆでるのとは一枚も二枚も上手の成熟が日本の懐石料理にはあると感じる。

さて、私たちは穀物に限らず植物のありとあらゆる貯蔵デンプンをそれぞれ異なった季節の異なった美味しさとして享受している。お芋や豆類、栗などである。それぞれの彩りは、デンプンの差や同時に含まれているタンパク質成分、香りの成分、そしてそれをどのように引き出すのかという調理法によって、実に多彩な風味を示す。

私がいいな、と思った料理がある。京都南座の花吉兆さんで初めていただいた。それは蓮根を使った汁ものだった。すりおろした蓮根を握って、その握った指の形もそのままに、あつあつの椀の汁にひたしてあった。私は最初それが何であるかわからないままに食したのだが、ぼそぼそとした食感のあと、実に素朴な甘みとレンコン特有の、あっさりとしたデンプンのうまみが口の中に広がった。そのぼそぼそ感は、芋がもつ粘りとも、エビのしんじょうなどが持つしっかりとした旨味とも違った、シンプルで、しかし印象を確実に残す味だった。

ずっと後になって徳岡氏にこの料理のことを訊ねる機会があった。このレンコンデンプンを使った椀物は、正式な名を、蓮根餅あるいは蓮根団子汁といい、レンコンが名産の加賀地方の郷土料理にヒントを得たものとのこと。もともとは、お好みで具を入れ味噌で味付けをしたすり下ろし蓮根に片栗を少々混ぜ込んだ練り物を 手ですくい握ってから、そのまま鍋の中に放り込んで食べる、という野趣あふれる料理らしい。吉兆さんでは、放り込みこそしないが、自然に出来た形を大事にし、奇麗な球にするのではなく、指の跡をわざとつけ、油で揚げてから、煮物椀の具にしたり炊き合せの台にしたりするということだった。油分も隠し味のひとつだったわけだ。

古く平安期には、仏寺の池にあった蓮の食用は禁忌とされていたものが、鎌倉期になってその根が美味であることに気づいた貴族の間に食習慣が広がり、徐々に庶民化していったそうである。そんな説明をしてくれたあと、徳岡氏はこんなこともいっていた。でも、練り物は、本質的には料理としてはごまかしなので、吉兆の本筋ではないのです、と。なるほど。しかし、普通のヒトには、こういうコトバ、さらっとは出てきませんよね。

ところで、様々な風趣を伴っていただいたデンプンは最終的にはブドウ糖にまで消化・吸収されて私たちの血液中に入る。メニューの中に必ずデンプン質のものが含まれていないと、私たちは満ち足りた食後の気分にならない。それにはそれなりの理由がある。常に、脳細胞がブドウ糖を要求しているのである。だからすこしでも血液中の糖の濃度が下がると様々な指令を出して摂食を促す。血液中の糖の濃度が上昇すると脳はたおやかに満足する。脳細胞は基本的にエネルギー源としてブドウ糖だけしか利用しない。それも大量の! ヒトの脳では一日約500キロカロリーの糖が消費される。全食事エネルギーのうちのおよそ20%である。それだけ脳細胞は大量の仕事をこなしているわけだ。つまり、こう言い換えることも出来る。頭を使えば使うほど、あるいは悩めば悩むほど、あなたはダイエットしていることになる、と。