『世界之名物 日本料理』第一部 第一章
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| 《一風変わったタイトルの由来から説明いたします。「世界之名物 日本料理」この文句は四十年程前から私共「吉兆」のキャッチフレーズであり、店で出されるマッチなどに刷り込まれております。なぜ「日本之名物」ではなく「世界之名物」なのかは、おいおいご説明いたします。日本料理が味だけでなく、器やお部屋のたたずまいも含めて、日本の文化そのものだという表れです。それでは、湯木貞一のはなしを始めましょう》 ー 「味覚の秋」ということで、味にまつわるお話を伺いたいのですが、日本料理は特に季節を大切にするといわれますね。 湯木 そうでんな。でも、何もそんなに難しいことやおまへん。季節、季節いうて、それにこだわり過ぎて、味を忘れてしもうて、まずいもんだしてたら、なんぼ季節にかのうても、あきません。 ー やはり、味ですか。 湯木 味つけが一番。そのうえに必要なのが季節感です。あらだきひとつとってみても、あらだきは一年中変わらしまへん。しかし、春にはああいうもんの上に木の芽をばっさりと載せることが料理屋のひとつの約束になってますんや。今(秋)であれば、ユウ(柚子)を糸のように細長う刻んで、それをパッとかける。そのユウから視覚を通して食べ物の味にもうひとつ魅力を付け加える。表現ばっかりで味つけがまずかったら落第ですけどな。 ー 料理をする人には、そういう勉強も必要でしょうね。 湯木 そういうても、まず技術の勉強でんな。タイのおろし方、ゴンボ(ごぼう)のささがき・・・。そんなことを相当にやってね。十八、九から入って、三十近くになると、だいたい分かってきます。その分かってきたことが、いよいよ日本料理の出発点ですわ。 ー 技術を覚えても、まだ一人前じゃないわけですね。 湯木 料理できるさかい、それでわしはもう一人前やと。そうわいきまへん。それで日本料理が完全に手の中に入ったというわけではないんです。 〈湯木貞一は、明治三十四年、神戸に生まれる。昭和五年に「吉兆」の暖簾を揚げ、料理人として腕をふるう一方、日本料理の研究家として知られる。昭和五十六年に紫綬褒章を受賞、六十三年には、料理界から初めて文化功労者に選ばれました。〉 ー ところで、秋の素材といいますと、やはりマツタケでしょうか。 湯木 そうですな。昔はマツタケがもっとたくさんありましてね。店に来られるお客さんも「きょう、昼、家でマツタケ食べてきた」なんていうて。このごろはそんなお客さんもいなくなりましたな。 ー 家庭でも年に一回、口に入るか入らないかですものね。とくに国産ものは目の飛び出るようなお値段ですね。 湯木 いい材料を手に入れるのは難しいですな。マツタケ、それにこれからはカニ、だんだんと難しなってきましたな。 ー マツタケもカニも人工的に栽培できませんからね。 湯木 残念ですね。秋のひとときだけのことですけど、やっぱり日本料理にはマツタケですね。家庭でカシワのすきやきをしても、マツタケがあれば、なんや温かい気持ちがしますな。昔は八百屋さんの店先に山のように積んであったんですがね。私ら子供の自分には、たしか、十二月になってもマツタケありましたわ。 ー 土瓶蒸しにマツタケと一緒にハモが入ったりしてますがハモは夏の魚ですよね。 湯木 マツタケとあいますね、ハモの味は。ハモの祇園祭の前からですさかい、使う時期が長い重宝な魚ですな。 ー 春夏秋冬のうちで材料に一番困るというのはどの時期なんでしょう。 湯木 そりゃ冬でしょう。魚はブリみたいなものになってしもうて。大阪は明石が近いので恵まれてますな。播磨灘にかけて魚貝がたくさんとれますからな。 ー 日本料理は見ていても楽しいですね、変化があって。献立も新しいものを研究して取り入れられているんでしょうね。 湯木 いろいろ研究しております。新しいものを考えていくというのは、人間の生きていく一つの条件ですやろな。それでも、たとえば栗きんとんのくりが、外にあるのが中にはいっているとか、そういう小手先の工夫でして。春が来たら春の料理、秋が来たら秋の料理。だいたい似たような献立にはなると想います。旬のものを保存しておいても、やっぱり出た時が一番おいしい。そういうことにこれまで何度も突き当たってきました。 ー やはり、一番おいしいのは旬のものをいただくことだと。 湯木 そうです。というて、このごろは、どこへ行ってもお椀はハモとマツタケですわ(笑い)。季節を征服した料理というても難しい話ですね。 |
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