第五回
千 宗員
(せん そういん)
表千家若宗匠

 

「食」の楽しみ

 「旅の楽しみ」というと観光地を巡る楽しみ、買い物の楽しみ、人との出会いなど人によって様々な楽しみ方があるだろうが、私にとっては「食べること」というのは、記憶にも印象にも残って大きな楽しみの一つである。

 海外などを旅行すると、「和食が恋しくなる」という話をよく聞く。私の場合も、たしかに和食が食べたくなるときはあるけれど、それよりもその国や地方特有の料理を食べることへの好奇心のほうがまさって、短い滞在期間中ずっとその国の料理を食べる、ということもしばしばである。

 それは食材や料理法への興味、物珍しさと同時に、その国や地方の食文化にふれることへの楽しさということがあげられると思う。基本的に料理というものはその土地の食材を用いて、その土地の気候や風土にあった料理法が工夫されてきた。したがって単に味だけのものではなく、その環境のなかで食べることが、その土地の文化の一端にふれることにもなると思うからである。もちろんその国の、あるいは土地の料理は本場で味わうのが一番おいしいという思いもあるのだが。

 「食文化」という言葉があるように、「食」という行為は単に人間の欲望を満たすためのものではなく、文化の一つの重要なジャンルである。最近では「スローフード」という言葉も生まれて、食生活のスタイルが見直されている一方で、日本では「食」に対する信頼、安心感が脅かされるような事件が相次いでいる。我々の日常生活に密接に関わる「食」について、そしてその楽しみについて自分なりにあらためて考えてみたい。

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 「和食」という料理のジャンルには普段家庭で食べるお惣菜から、料亭で食べる日本料理まで様々にある。その定義についてここで自分が語るつもりはないけれど、和食の魅力は何といっても素材の風味や妙味を最大限に生かした料理法、そしてその素材の多様性にあると思う。

 日本料理の特色の一つに、季節感というものがあるだろう。春夏秋冬という四季の移り変わりのなかで、日本人はその季節ごとの楽しみを享受してきた。「旬の食材」という言葉があるように、食生活においても日本人は四季折々の季節の味を楽しんでいる。もっとも現在では食材に対する季節の感覚は薄れつつあるのかもしれないが、それでも春には筍や山菜、夏にはハモやスイカ、秋には松茸などのキノコ類にサンマ、さらに柿や栗などといったように季節ごとに魚や野菜、果物などの旬の食材というものが我々の食卓を彩っていることに変わりはない。

 しかし現在の我々の普段の生活のなかでは、季節を感じるということもなかなか簡単なことではない。もっとも、外を歩いている分には夏は暑いし冬は寒い。しかしいったん建物の中に入れば空調がきいていて、年中同じ室温の中で生活できる。さらに食材についても、先に書いたように栽培技術の発達や海外からの輸入などによって、一年中手に入るものもあるし、また季節はずれのものが珍重されたりもする。こうしたことによって季節感というものが薄れつつあるのが現状であろうが、春夏秋冬という季節の変化を楽しむことは日本人としての特権でもあると思うし、また自然との共生のなかから生まれた文化も多い。そしてなによりも旬の食材は、その季節に味わうのが一番自然だしおいしいとも思う。その季節にしか味わえない食材、あるいはさらに限定して、冬から春、あるいは夏から秋といった季節の変わり目にそれぞれの季節の食材が出会って生まれる料理のように、その一瞬を味わう醍醐味のようなものが、日本の食の楽しみの一つといえるのではないだろうか。

 季節によって食材が異なるだけでなく、日本では地方によっても様々な種類の食材が生産されている。北は北海道から南は九州、沖縄まで、日本は狭い国土ながらも地方によって気候や風土も違うし、様々な文化や風習の違いがみられる。これは「食」についても同じことがいえて、地方によって異なった食材や食生活をみることができる。たとえば雑煮一つとっても味噌の種類から餅の形まで、東と西では全く違うし、またそうした違いを色々と比べてみることも楽しみの一つといえるだろう。

 普段京都に住んでいるとなかなか感じないことだが、「京都特産」というものは一種のブランドとなっている。たとえば食材でいえば「京野菜」の賀茂茄子や金時人参、壬生菜、さらには漬け物など、お中元やお歳暮の時期になると、そうしたものを扱っている店では地方発送の手続きに賑わいをみせている。

 しかしこうした特産の食材というのは、なにも京都に限ったことではなく、日本では全国各地に郷土特産の食材をみることができる。たとえばネギという食材一つとっても、京都の九条ネギや群馬の下仁田ネギ、埼玉の深谷ネギなど、また牛肉にしても松阪牛や飛騨牛、神戸牛などというように同じ食材でも、その土地の栽培方法や飼育法によって色々な種類がある。

 このように地方によって特色の異なった食材が生産されるということは、それぞれに違った特性が味わえて楽しいことであるし、またそうした素材を用いて料理される郷土の料理というのも、その土地の食文化をあらわしていて趣の深いものであると思う。

 流通機関の発達した現在では、京都でもあらゆる土地の食材を目にする。日本国内に限らず、世界中から食材は輸入で入ってくるし、今の我々の食卓はあらゆる土地の産物で形成されている。

 また、一方でビジネス至上主義とでもいうのだろうか。売れるもの、人気のある食材が需要を伸ばす一方で、地方の特色のある食材が消えつつある例もよく聞く。結果としてどこの産地においても他と変わりのないようなものが作られ、それが食材の均一化を招いているとしたら、それによって地方の色が消えていくようでさびしい事態である。

 ちまたでは産地偽装問題や、大企業による不祥事など、食に対する信頼を損なうような事柄が起きているが、それでも全国各地に目を向ければ小規模ながらも地道に、素材への愛情を持って食材を我々に提供してくれる農家や施設があるだろう。「地方分権」というのは、主に政治や経済の世界で聞かれる言葉だが、「食」という分野においても、郷土色豊かな食材や料理、あるいは食生活が見直されることが、その地方の活性化にもつながるし、日本全体の食文化を豊かなものにするのではないだろうか。

 

 日本の食文化のなかで、「懐石」は日本が世界に誇ることのできるスローフードであると思う。茶の湯の料理として16世紀に生まれ、その後の日本料理にも大きな影響を与えた。一汁三菜という簡素な献立は、わびの心をあらわすと同時に「人をもてなす心」という重要な意味合いを含んでいる。出来立ての料理がすぐに食膳に運ばれ、一つ食べ終わると次の料理が運ばれる。温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちに食べることによって、素材の風味や妙味を損なうことなく食べられる。また余すことなく食べ終えられるように量が工夫されるなど、常に食べる人のペースや好みに合わせて料理が組み立てられるのである。このような食べる相手の顔を思い浮かべながら食を提供するということは、懐石に限らず家庭や料亭、あるいは企業など、食に携わる全ての人々にとって最も大切なことなのではないだろうか。

 スローフードが提唱されている現在では、海外においても懐石風のスタイルで料理を出すレストランが評判で、日本の雑誌やテレビなどでも取り上げられたりしている。こうした懐石にみられるような料理法には、日本人の「食」に対するこだわりを強く感じるし、このようなこだわり、あるいは人をもてなす心が、食文化、食生活を豊かにし、同時に最近失われつつある「食」への信頼感を取り戻すことになるのではないだろうか。

 「グローバル化」の名のもとに日本の生活スタイルは大きく変化を遂げている。IT技術の発達により生活はさらに便利になっていくだろう。「食」の面においても、望めば世界中のありとあらゆる食材が一年を通じて手に入るし、世界各国の料理を日本にいながらに味わうことができる。しかし「地のもの」「旬のもの」を食す、あるいはそれでもって人をもてなすという、おそらくかつてはそれが当たり前だったことが、今ではとても贅沢なことのように聞こえてしまう。このように日本の先人たちが、工夫を凝らして築きあげてきた食生活の楽しみというものが我々の日常の感覚から次第に薄れつつあることは残念な気がしてならない。

 日本は伝統的に外来の文化を受容し、それを我が国の文化として変容させていくことに長けた民族である。海外の情報や文化が我々の日常に当たり前のようにとけ込んでいる今日、いまさら手に入れた生活の利便性や多様性を失うことはできないが、日本の文化、あるいは日本人としてのこだわりを失ってはいけないのではないだろうか。「一期一会」という言葉があるが、「食」においてもその土地、あるいはその季節のなかで出会う楽しみ、あるいは醍醐味を忘れたくないものだと思う。

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 イギリスに留学していた頃、むこうで食べた「イギリス料理」でまず思い浮かべるのはフィッシュアンドチップスとくたくたになるまでゆでた野菜だった。なにせ世界でも「おいしくない料理」と評判の英国料理である。なるべくなら食べずに、外食の時には中華料理やタイ料理、たまに日本食とかに行っていたけれど、それでもやっぱりその国にいるのだから食べる機会は何かと多い。それでもイギリス人たちは食事の時は実に楽しそうに、わいわいとおしゃべりしながら「おいしくない」イギリス料理を楽しんでいた。「イギリス料理は他の人達が言ってるほどまずくはないよ」などと言いながら・・・。

 しかし、今や状況は変わった。次々に新しいおしゃれなレストランがオープンし、大陸のテイストを取り入れた「モダン・ブリティッシュ」なるジャンルの料理が登場し、日本にも来日して話題になるような人気の料理人があらわれたりしている。

 確かにそれは嬉しいことだし、食文化の発達というのは楽しいことだけれど、またイギリスに行く機会があってもやっぱりフィッシュアンドチップスとくたくたになるまでゆでた野菜を食べてる自分がいるような気がする・・・。