第七回
北神 圭朗
(きたがみ けいろう)
民主党京都第4区(右京区、西京区、亀岡市、船井郡、北桑田郡) 次期衆議院予定候補者

 

胡瓜の漬け物

 私はもともと財務省(旧大蔵省)で役人をやっていましたが、出向という形で、昨年の7月まで1年間ほど岩手県庁の農林水産関係の課長として仕事をしました。

 その間、BSE(いわゆる狂牛病)や、偽装表示の問題など食の安全を揺るがすような大きな事件に次々と遭遇しました。多くの生活者や焼き肉屋さん、まじめな畜産農家が大変な思いをしているのを目の当たりにしました。
  こうした体験から、「食」と「農」の関係について、今改めて、再構築しなければならないと考えます。
  今回は、そうした観点から、「胡瓜(きゅうり)の漬け物」の話をしたいと思います。

 まず、美味しい胡瓜の漬け物には何が大事なのでしょうか。
 もちろん、美味しい胡瓜が必要です。
 では、美味しい胡瓜とは、どういうものでしょうか。
 健康な土と水と空気の下で育った胡瓜です。

 なんだか当たり前の話です。  
 すぐにでも美味しい漬け物が出来そうです。  
 ところが、私が岩手県で出会った関係者は、昨今の輸入された胡瓜や国内で普通に栽培されている胡瓜では、本当においしい漬け物は出来ないと言い切ります。

 では、美味しい漬け物ができる胡瓜とは、どのようなものでしょうか。
  二つに切った胡瓜をあわせると、もとのようにくっつくものだそうです。それは、豊富なミネラルが含まれているから、くっつくのだそうです。

 どうしたらこのように、「くっつく」胡瓜が出来るのでしょうか。
  それは、堆肥をしっかりと施し、バランスのとれた土づくりを実施し、きれいな水と空気のもとで、胡瓜の根で栽培しなければならないのです。

 ここが大事なところです。
  私は、この話を聞く前は、胡瓜は、当然、胡瓜の根で作られるものだと漠然と考えていました。また、土や水や空気などは当たり前にあるものだと考えていました。
  ところが、今や、こうしたことが、当たり前のことではないそうです。

  胡瓜は、病気などに強くするため、カボチャの根に接ぎ木をして作るのが一般的だそうです。また、化学肥料をやった方が、作業が効率的であり、昔ながらの堆肥をしっかりと施すというやり方は、少数派なのだそうです。
 ましてや、きれいな水や空気といったら、自然環境の賜物です。森を守る、環境への付加を低減するなどのたゆまない努力が必要な、今や希少価値のあるものなのです。

  どうして、当たり前だと思っていたことが、このように打ち捨てられてきたのでしょうか。
  私は、今までの日本社会が、ある面で、短期的な経済効率性のみを追求してきたからだと思います。より具体的には、「食べる人」と「作る人」との距離が離れ、関係が薄れてきたからだと思います。これにより、当たり前だと思われてきたことの価値が低下し、当たり前では無いことが主流となっている。農家の方々などの生産者側も、そうした要望にだけ応えることを余儀なくされていると思います。

 私は、こうしたあり方を全面的に否定するつもりはありません。
  ただ、こうしたあり方だけを今後とも追求すべきではないと考えます。

 今、世界中で「スローフード運動」が広がっているそうです。
  「スローフード」とは、「ファーストフード」の対立概念です。それは、ただ単に、ゆっくり食べるとか、ゆっくり調理するとかにとどまるものではありません。その本質は、食べることを切り口として、人と食、人と人、人と環境の間で、これまでに失われた関係性を修復することにあるそうです。

 行政の方では、BSE等の一連の事件に対応して、食品表示に力を入れています。つまり、賞味期限や栄養成分、原材料、原産地といった情報を消費者に開示することです。これにより、私たちが日々の食品を選択する際の判断材料を与えられるわけです。

 これはもちろん大事なことですが、これだけではまだまだ安心できません。なぜなら、開示された情報が真実なものかどうか、検査する体制が現段階では未整備だからです。いくら情報開示がなされても、その情報が正しいかどうか分からなければ、なんの意味もありません。こうしたことを考えると、安全で安心な食べ物を獲得していくためには、ただ食品の表示をしっかりとすることだけでは足りません。

 良質なものを供給してくれる生産者を大事にすること。そして、その基盤となる土、水、空気といった環境を保全していくこと。
  そうしたことを、我々、生活者も意識していくことが、まず、必要です。

 美味しいものを食べるには、実は、環境を守るとか、生活への意識を変えるとか、そうしたことがまず必要なのだと考えています。